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09年3月転任教員から理科 和田 雅郎 交野高校に転勤する前は長尾高校に勤めていました。長尾には15年間いました。12年目に教務部長になってしまいましたので、教務部長あけで14年、そのとき校長にいいました。「あと1年、仕事を片付けて引き継ぐために長尾に残るから、そのあと交野高校に行かせてくれ」と。今では長尾高校の裏は広大な住宅地になっていますが、転勤したときは全部が山で、自然にあふれており私の大好きな環境でした。交野高校も山のふもとにあり、とても環境がよいので、是非とも転勤したい学校だったのです。町なかの学校には絶対に行きたくありませんでした。最後の1年、校長に「交野」、「交野」といい続けたところ、本当に交野に転勤になり、大喜びしたのを覚えています。ところが転勤前の入試準備の頃から右腕がだる痛くなり、それがどんどんひどくなっていきました。入試が終わったころ、首も曲げられなくなり、とうとう医者に行きました。整形外科でレントゲンを撮ってもらうと、首の骨の椎間板の一部がすり減って神経を刺激する「頸部変形性脊椎症」と診断されました。その日から低周波をあて、首を引っ張るリハビリが始まりました。効果が出るまで1ヶ月以上かかると聞かされていました。交野高校に移ったのは治療から2週間ほどでしたので、授業が始まった頃は痛みとしびれがピークで、右手は上がらず、左手で右手の肘を持ち上げて黒板に字を書く、という授業をしていました。当然、汚く読みにくい字になったので、生徒たちから「読めない」といわれ、謝り続けていました。せっかく第一希望の転勤先になったというのに気分は最悪でした。気分が悪いと、いい授業ができるはずはなく、生徒も楽しくなかったと思うのですが、さすがに交野高校の生徒はちゃんと授業を受けてくれていました。長尾では、発症するまで時々体育館に行って、生徒にバドミントンの指導をしていましたが、だんだんできなくなり、一度だけ生徒にせがまれてラケットを握りましたが、ラケットを振る度に激痛が走り、早々に引き上げたものです。それ以来バドミントンを直接指導することはなくなりました。勿論、交野高校は男女ともレベルが高く、指導に関して私の出る幕はないのですが、頸椎症がバドミントンの指導をやめたきっかけになったのは事実です。5月の終わり頃に治療の効果が出てきて、6月には嘘のように痛みも痺れもなくなりました。そんなわけで交野高校に転勤した当初は惨憺たるものだったという印象が強く残っています。 (2009.3 大阪府立野崎高校に転勤) |