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第11号(HTML)
第11号2・3ページ
002-003
わが心の故郷 交野高校
思い出すままに
27期生と交野高校
思い出の交野高校
編集後記
[わが心の故郷 交野高校]
第5代校長
(昭和63年4月~平成4年3月在勤)
関 和夫
交野高校という名を聞くだけで、今も心にほのぼのとしたものを感じます。このような感じを持つのは赴任した6つの学校で交野高校だけです。なぜなんだろうかと考えると、その風景にもあるのでしょう。東に連なる山々には春は桜の花が点在し、雨模様の日にはかすみがたなびく美しさは忘れられないものです。校舎北側を流れる前川の堤にも桜並木があり「交野の春の桜狩り」を彷彿とさせてくれました。
歴史の重みもあるのかなとも思います。古代から人々が住みつき、弥生遺跡や古墳が各地にみられます。学校内にも東車塚古墳があり、在任中に発掘調査が行われましたが日本最長の木棺や鎧、鏡、玉などが発掘され、葺石の状況も見ることができる前方後円墳とみられる古墳でした。この他多くの古墳の跡が校地内にあります。特にテニスコートの下には方形の塀に囲まれた円墳の日の丸古墳跡が眠っています。
市域にも多くの遺跡や伝承が残っている。饒速日尊が天上から天磐船に乗って哮峰に天降ったという磐船伝説は特に有名で、磐船神社にはこの磐船だという巨石が御神体として祀られている。饒速日尊は物部氏の祖とされており、天ノ川流域を開拓し勢力を持った交野物部氏もその一族であり、市北部には渡来系の交野忌寸が養蚕業など新しい産業を起こして穂谷川流域に威を張っていました。また敏達天皇の新しい皇后となった豊御食炊屋姫のため后(私)の領地を耕作する部キサキチベが設置され、私部・私市の地名として残り、皇后は後に推古天皇となり、私部は天皇領となって交野三宅となった。東の連山を三宅山というのはこの名残でしょう。
『河内名所図会』は「[曽丹集]に曰く」として天女伝説を載せているし、星にまつわる話も多い。この他降星伝説や獅子窟寺などの史跡、機物神社に関係する近世初頭の記録など交野地方が無視できない力を持っていたことがわかります。
このような景色や歴史を背景にした地域の人々のほのぼのとした人情を味うことのできる交野高校、相対的に真面目で地域の人々の人情を写し出すような生徒たち、何とかして生徒や保護者の希望をかなえさせようと奮闘された先生方、これらが織りなす交野高校に勤務できたことは私の宝物としていつまでも心に残る存在であり続けるでしょう。
ところで皆さん、交野高校の校訓や校章の意味を覚えていますか。校訓は「知性」「努力」「創造」です。知性とは「物事の理屈がすぐ理解できる能力」、努力は「目標を設定し、困難があってもその達成に能力を傾けること」、創造は「積み重ねた教養で、新しいものを造っていくこと」で、この校訓を実行する中から校章の象徴する理念が実現していきます。校章は、全体として知・徳・体の各方面にわたる向上と人格の完成をあらわし、円は円満なる人格と平和を、AとVを組み合わせて交野の交の字となり、Aはエースを、Vはビクトリーを意味し、社会をリードする識見を身につけるようにとの願いがこめられています。もう一度思いだし、社会生活に応用されればと思います。
これからの社会はますます高齢化が進み、いずれは皆さんもその仲間入りをします。高齢社会では高齢者もその経験を生かした社会的な貢献が必要になってきます。そこで最後に明治から昭和にかけて活躍された彫刻家で百七歳の天寿をまっとうされた平櫛田中氏の「不老」という詩を読みましょう。
六十七十はなたれこぞう
おとこざかりは百から百から
わたしもこれからこれから
いまやらねばいつできる
わしがやらねばだれがやる
[思い出すままに]
土 哲志
早いもので、交野高校から大東高校に転勤して十七年が過ぎ、私も定年が近くなりました。交野高校では十一年間お世話になり、いろんな経験をさせていただきました。今、思い出すままにこの原稿を書いています。
私は、三期生が入学した昭和五十一年に赴任し、一年一組の担任でした。そして、生徒指導部の生徒会係だったことを思い出します。当時、生徒会係は高山先生、林(昌)先生と私の三人で担当していました。文化祭、体育大会など行事をこなすのに毎日が忙しく、それにかまけてクラスはほったらかし、姿なき担任といわれていました。(反省しています。)
また、この頃冬はスキー講習会、夏は臨海学校が実施され、多くの生徒諸君が参加していました。臨海は、鳥取県岩美町で行われ一年生対象の行事でした。水泳訓練だけでなく夜にはキャンプファイヤーがあり、楽しかったのを思い出します。中でも教員のだしもので高山先生を中心に踊った「電線に雀が三羽・・・」が最高の傑作でした。
それから、耐寒訓練がありましたね。府民の森を中心に地元の自然にふれながら生徒と先生が一緒に歩くという他校ではなかなか出来ない企画です。ある年、耐寒前日にポイントを取り付けに行くと、源氏の滝から登るコースが全面凍結。白井先生を先頭にスコップやつるはしを持って行きコース整備をしました。それが終わった頃には、日も暮れ真っ暗になっていました。(疲れた。)
まだまだ、思い出すことはたくさんあります。三、七、十期生の皆さん元気にしていますか。名前を忘れているかもしれませんが、町で見かけたら声をかけてください。
最後になりましたが、交野高校が三十周年を迎え、桜美会のますますの発展を・・・
[27期生と交野高校]
岩井田 賢司
二月二十七日、初めて対面形式で行った二十七期生の感動の卒業式。それまでの三年間の思いが次々と脳裏をかすめ(まさか、あの先生が)涙、涙の卒業式でした。
思い起こせばこの三年間、彼ら二十七期生と苦楽をともにし、生徒達の言動に一喜一憂した毎日でした。
卒業式がすんでからの一ヶ月はその余韻に酔っておりましたが、年度が替わり、新学年となってふと気づくと、二十七期生の姿は学校にはなく、また、この三年間彼らの授業しか担当してなかったので、授業あるいは廊下ですれ違う生徒はほとんど名前を知らず、顔すら知らない生徒もあり、何か違う学校へきているみたいでした。また、二十七期生も卒業してからまだ数ヶ月しか経っていませんが、もう一年以上も前のような気がします。たまに、学校に来る卒業生に会うとホットしています。
さて交野高校は今年で三十周年を迎えようとしています。
私自身、本校での在籍が十三年目となり、教諭の中で二人いる最古参の一人となりましたが、交野高校の歴史の後半をつぶさに見て過ごしてきました。
年々新しい生徒が入学し、卒業していきますが、その年ごとに学年の特徴はあるものの、おしなべて素直で礼儀正しい生徒達で、また体育祭、文化祭等の行事においても、年々リーダーを中心に盛り上がりを見せています。
また環境においても誰もが認めるように申し分なく、特に春の桜と新緑の山々、秋の紅葉ははっきりと四季を感じさせ、感動的でさえあり、とても大阪の学校とは思えない環境です。
生徒達の質の良さ、学校の環境の良さを考えると、退職まで勤めたい気持ちです。
最後に、三十周年を迎えるにあたって、在校生、これから入学してくる生徒達が、教職員の指導のもとに切磋琢磨して、本校がますます発展することを期待します。
[思い出の交野高校]
大阪府立天王寺高等学校
吉武 進
11年前に交野高等学校を退職し、その後、国立高等学校の教員として数学を教えていましたが、今春、大阪府に再就職しました。前任校は1学年が3学級編成の小規模校であったので、全員のことがよく分かりましたが、現任校は1学年が9学級編成で生徒数が多いことや、私服で土足制のため学年の区別もつかず、授業に行っていない学級の生徒のことはよくわかりません。バッジだけは学年色がありますが、付ける位置が一定していないのでわかりにくいですね。交野高等学校に勤務していた頃は1学年が12学級で、しかも1学級が48人だったので、もっと大変だったはずなのですが、生徒一人一人の区別はできていたように思います。
交野高等学校では、授業で行った小テストに不合格の生徒を、よく放課後に居残りをさせたことを思い出します。クラスで3分の1程度の生徒が対象になることが多く、全問正解になるまでプリントをやり直しさせるので、廊下にずらっと採点待ちの生徒を並ばせましたが、「遅れるー!(たぶんアルバイトに)」とあせる生徒も多かったように思います。当時、携帯電話は普及していなかったので、公衆電話に走っていたのかなと思います。でも、考査でいい点数がとれたと喜んでくれる生徒もいて、もっと居残りをさせようと張り切ったことを思い出します。
時々当時の生徒だった人を見かけ、とても懐かしく感じます。当時のままの雰囲気で大人になっている人と、かなり印象が変わった人がいますが、みんな各方面で活躍していることを頼もしく思っています。どこかで見かけたら声を掛けて下さい。
[編集後記]
■30周年の祝賀会では懐かしい先生方とお会いできました。 同窓会運営に励ましのお言葉をたくさんの先生方からちょ うだいいたしました。ありがとうございました。この数ヶ月、個人的に多忙を極め、ほぼ完成していた同窓会報の最後の仕上げが遅れ、それに伴い会報の発行が大変遅れてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。
会長 1期生 松本克彦
■30周年祝賀会では懐かしい方たちとせっかくお会いできたのに、スタッフで忙しくしていたため、ほとんどお話が出来なくて残念でした。
1期生 白川安孝
■30周年、忙しかった!ミスも多かったかな?「30周年記念誌」残部があります。希望される方は封書に送料代390円分の切手を必ず同封の上、交野高校社会科宮本宛申し込んでください。お分けします。
3期生 宮本裕史
■同窓会を通じて、毎回いろんな出会いがありすまた、なつかしい恩師に会えたり・・・と。続けられる限り続けていきたいです。みなさんも一緒にいかがですか?
9期生 増子匡美(旧姓中山)
■30周年式典も無事終わりホットひと息。次は40周年かな?
9期生 増田慶和
■賛助広告にご協力頂きました皆様に厚くお礼を申し上げます。今後の新聞発行について避けては通れない賛助広告のご協力並びに件数拡大ですが、皆様のご支援を頂き、交高の情報発信源を末永く守っていければと思います。
11期生 横田保典
■桜美会の新聞を一緒に作りませんか?懐かしい先生方や友達先輩に会って話しましょう!参加待っていす!
14期生 松下幸枝(旧姓中山)
■今回の私の仕事は恩師に原稿をお願いするでした。連絡はメールでしていたのでらくちんで良かったのですが、お会いする事ができなかったのでちょっと残念でした。
14期生 澁谷純子
■いつも楽しみにしていた会報の発行に縁あって参加させて頂くことになり、今後はもっと少し貢献できるようにがんばりたいと思います。
20期生 加藤恭子
■恩師近況の後藤先生のインタビューを担当しました。久しぶりに会った先生は昔と変わらないキャラだったので何だ かとても嬉しかったです!
26期生 大埜礼華
■取材は、先生方の近況だけじゃなく今まで知らなかった素顔(!?)まで見ることができてとても楽しかったです。先生方、お忙しい中ご協力ありがとうございました。
26期生 芳崎順子
交野高等学校 〒535-0064 大阪府交野市寺南町10-1
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