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2008年3月 転退任教員から

  楽しかった交野高校の私

                                     社会科 加藤 昂(平成20年退職)

 

 西暦2000年の4月、私の交野高校での生活が始まった。教員生活残すこと8年で転任となったので、おそらく最後の学校になるだろうという予感の中でのスタートだった。最初に授業を担当したのは3年生になった25期生、周囲のどこにでも緑が広がりどの窓からもそして渡り廊下からも山並みが見晴らせる環境は、私の気持ちを和めた。

 まず放課後や休日にも学校のあちこちから響く生徒たちの声に、交野高校生たちの学校生活への前向きな姿勢を感じた。授業でも素直で反応があり、5月の遠足で付き添った25期生3年クラスの生徒たちも人なつっこくて、すぐに交野高校に馴染むことができた。テスト前や放課後に、暗くなった学校の窓の多くに照明が洩れ、クラスメイトたちと共同勉強に取り組む生徒たちの姿を見てますます「いい学校に着任したな」という感を強くした。

 着任2年目からは、早く担任を持ちたいという意に反して28期生の学年主任を担当することになった。校内の人事構成では学年主任は担任を兼務できないシステムになっている。それならと、欲張って8クラス320名の「担任」をしたらいいんだという勝手な自己了解をし、担任の先生たちの仕事のうち生徒の出処進退に関わることは必ず一緒にやることにした。担任の先生たちには出しゃばりの学年主任と思われていたに違いない。担任として接することのできない生徒たちとの接点を作りたくて、必要以上(!)に学年集会を設定して長い話をしたのもそんな気持ちのなせる業とご寛怨ください。

 そして今思っても28期生は前向きで反応のよい生徒集団だった。生徒は先生たちを信頼していたし、先生たちも生徒を信頼していた。

 わけても2年生の2月に実施された修学旅行の磐梯猪苗代のスキー宿で、今まで観たどんな文化祭をも超えた全体レクをやってのけ(ただし修学旅行の出発直前の学年末考査の時にクラスのレク練習を盛大にやらかして、テスト勉強はどうなっているんだと心配させたが)、その勢いで、3年生では全クラスがステージ部門(演劇)にノミネートしたノリの良い学年でもあったことだ。

 受験準備もある中で、夏休みから準備と練習に付き合わされた担任の先生たちも大変だったが、3年生の文化祭は全クラス演劇という伝統を作り上げて毎年多くの観客を動員することになった先達は28期生だった。

 また、高校の制度改革の渦中を泰然と通り過ぎていったのも28期生だった。なぜなら、1年生の時は学校5.5日制(土曜日は隔週休み)に移行し、2年になると学校完全5日制(土曜日は完全に休み)、そして3年では今や交野高校の特徴になった45分×7限制への移行と授業形態が毎年変更される中でも、高校生活3ヶ年を素直にその変化に耐え抜いて(?)彼らは卒業していったのだ。

  

 そんな生徒たちとの交流の中から、卒業直前の学年集会では「君たちを手放したくないから卒業させたくない」とわけのわからないこと生徒たちの前で言ったことを覚えている。とにかく教師歴も長い中で、交野高校で28期生というあんなに素晴らしい生徒集団と接することができたことは教師冥利に尽きると言ってよい。

 また、その着任2年目からサッカー部の主顧問を引き受けることになったことも、交野高校での私の宿命だったのか。

 着任時にクラブ顧問の希望調整を聞かれた時に、前任校で副顧問(といつても熱心な指導者顧問がいたので合宿に付き添う程度だった)をやっていたのでとりあえずサッカー部希望とした。もちろん熱心な主顧問(光永先生)がおられることを知っていたからである。

 ところがである。翌年その主顧問が転勤となり、取り残された私に主顧問の座が回ってきたのである。これには正直言って自信がなかった。なにしろサッカーの選手経験はないしルールの知識もおぼつかない。しかしサッカー部がありサッカーをするために交野高校に入学した生徒たちがいる。ここは「義を見てせざるは勇無きなり」である。いずれは指導できる先生が転任してくるまでの期間、中継ぎとして土日をつぶして面倒だけみてやろうと心に定め、サッカー指導経験のある先生が転任してくるのを待つことにした。が、それが定年退職までの7年間にわたるサッカー部主顧問となることになった宿命の始まりでもあった。

 だからサッカー部には「指導はできないが面倒だけはみてやる」と宣言して選手登録や公式戦の運営、練習試合をセットすることを中心に顧問稼業に邁進することになった。それでもそのうちに、サッカー部員が一生懸命に取り組んでいる様子を見ながら「可愛い奴らだ」と感情移入。高体連サッカー部のハンドブックで手当たり次第に「試合を組んでくれませんか、ついでにレフリーもお願いします」と我が儘な申し出を続ける中で、他校の顧問の先生たちとも交友関係が広がり、顧問稼業もまんざら楽しくないわけでもないという複雑な心境になっていった。

 やがて指導できる顧問がいないということでOBたちがよく顔を見せてくれるようになり、以後7年間にわたってコーチ役を買って出てくれることになったOB(25期生の斉藤久允くん)との長い付き合いも始まった。

 だが、雨でも夏の暑さの中でも雪でも真冬の寒さの中でも試合をする高校サッカー(サッカーにオフシーズンはない)の過酷さ、土日も祝日も夏休み冬休みも付添う顧問稼業の過酷さに、7年間のうちには正直言って気持ちがめげそうになることもあった。しかし顧問がいなくてはチーム登録選手登録はできず、練習試合も組めないという現実から逃げるわけにはいかない。懸命にサッカーの上達にいそしむ部員たちを見て、練習試合を楽しむ部員たちを見て、そして公式戦に敗れて号泣する部員たちを見て顧問魂を鼓舞されながらの7年間だった。

 それもこれも今となつては楽しい記憶となり、7年間に巡り会ったサッカー部OBたちとの交流は私の財産ともなった。そして、私の退職と同時に交野高校に着任された前田先生(北河内屈指のサッカー指導者です)に、どこに声をかけても喜んで練習試合を組んでもらえる立派なクラブとして引き継ぐことができたのは私の誇りでもある。

 さて、学年主任を終えた年の進路指導部での奨学金担当も大変だった(この年から日本育英会は行政改革の一環で独立行政法人日本学生支援機構に改変され、同時にすべての業務が私の苦手とするインターネット化された)が、翌年に文化教養部長に選任されていた先生(社会科の池田先生)の急な人事異動で、その職を急遽務めることになり私の教員生活最後の3年間はまたしても担任を受け持つ機会から見放されることになった。 

文化教養部は学校内では入学式や卒業式などの儀式や文化行事そして図書館の管理を担当している。図書館ではちょうど3年前に司書の先生の異動(柚木先生から山本先生へ)があり、図書館運営の大改革(学校に来る機会があれば一度は図書館にも寄ってみてください)を経験することにもなった。

 生徒たちとの接点が多い担任が教師という仕事の面白い部分だし、いろいろな問題を抱えた生徒に対して「よっしゃぁ担任の出番や!」と向かうことが出来るのは教師という仕事の醍醐味だと思う。その点に、交野高校で一度も担任を持つ機会に恵まれなかった私の無念さがあるのだが、文化教養部長はPTAや同窓会(桜美会)も担当するので生徒ではなく「保護者やOBの担任」をしようと割り切ることにした。

 

 文化教養部長としては30期、31期、32期の卒業式を見送り、32期、33期、34期の入学式を取り仕切り、3代のPTA会長(宇都会長から三嶋会長そして神野会長)と大勢の役員さん専門委員さんたちとの交友もでき、桜美会の松本会長以下役員の皆さんとも交友ができたところで、年齢には逆らえずに定年退職ということになった。 

 教師という仕事が好きな私は、定年退職後も再任用教諭として別な学校に転任したが、交野高校から離れた今、つくづくと思うのは交野高校の素晴らしさである。

 緑に囲まれた広い空間にのびのびと立地する校舎、どの窓からも樹木と山並みが見渡せる陽光溢れる校舎。廊下で出会うと挨拶をしてくれる生徒たち、授業のチャイムと同時に全員自席にいる生徒たち、進路実現のための受験講習にとことんついてきてくれる(付き合わされる)生徒たち、行事になると「こいつら凄い!」と改めて思わされる生徒たち、身びいきの誇大宣伝では決してなく、こんな高校は府立高校多しといえどもそうはないという思いは日に日に強いものがある。

 最後に、交野高校の8年間に巡り会った生徒たちとOBたち、PTA活動で交友を温めた保護者の皆さん、そして同僚の先生たちへのオマージュ(献辞)を捧げつつ、楽しく幸せだった交野高校の私の別れの辞とします。

                              2008年3月

   

転任の挨拶

国語科 安井 直人

 

交野高校に初めて来たとき、「礼儀正しく、前向きな生徒がたくさんいる」という印象を受けました。授業が始まるとそれが実感となり、私自身、身の引き締まる思いをしたことを覚えています。以来、交野高校には8年間お世話になりました。28期生の担任を3年間、あとは主に生徒会の係を担当させてもらいました。

 振り返ると、交野高校はクラブ員の皆さんに支えられていると言っても過言ではないと思います。体育祭、文化祭、球技大会などの学校行事の運営はもちろん、交高生の礼儀正しさや評判の良さは、全校生徒の70%以上が何らかのクラブに所属しているからこそでしょう。

 クラブ活動も大切ですが、学校生活で最も重要なのは勉強です。交高生の皆さんならクラブ活動と同じように、勉強ももっと頑張れると思うのですが、もう一踏ん張りと言ったところでしょうか。しっかり目標を立て、クラブ活動と両立させながら夢に向かって邁進して欲しいと願います。

 あと一つ、そういった充実した学校生活を過ごせるのは、先生方や保護者の方々だけではなく、事務室の職員の皆さんや技能員さん、警備員さんたちが見えないところで支えてくださっているということを忘れないでください。これだけの整った環境で学べることを幸せに感じ、周りの全ての人に感謝する気持ちを持って欲しいと思います。

 この8年間、本当に楽しく過ごさせていただきました。交野高校で過ごした日々を糧に、次の学校でも精一杯頑張りたいと思っています。ありがとうございました。

 

転任の挨拶

英語科  中西 祐子

 

桜美会の皆様、こんにちは。

平成13年の4月に桜並木に映える校舎に感動してから7年かの間に、30期生を3年間、34期生を1年間担任しました。本当に年月が経つのは早いもので、30期生が教育実習に来るまでは交野高校にいたいと思っていたのですが、今回転勤することになり、残念に思っています。

  クラブでは主に茶道部を主担していました。昨年度は裏千家淡交会学生茶道の当番校として、生国魂神社の玉秀庵で本席を主催することができました。本来ならなかなか入ることのできない由緒ある茶室で、何百人ものお客様をもてなすという経験は、交野高校の茶道部員にとってよい経験になりました。3ヶ月間外部講師の先生の下、部長さんはじめ、部員ひとりひとりが、いろいろな準備で大変でしたが、大きな行事をやり遂げ、いろいろな方に助けていただいた経験は彼女達のなかで宝物になると思います。

  30期生で短大や専門学校に進学した生徒達の多くは、この春社会人として新しい旅立ちをします。私も新しい環境で彼らに負けないよう、頑張りたいと思います。

退職の挨拶

数学科 針田澄子

卒業生の皆さん、その後お元気ですか。今世の中は不安要因に溢れているように思えますが、逞しくご活躍のことと願っています。
  私は、1996年4月から2008年3月までの11年間、交野高校で数学を担当していた針田です。、今春、定年で退職いたしました。
  その後、引き続き非常勤講師として週2日交野高校で勤めさせていただいていますので、2カ月足らずが経ち、ようやくじわじわと退職の実感がわいてきたところです。
  この11年間では、22期生から34期生までの皆さんと一緒に過ごしたことになり、修学旅行にも5回付き添いました。特に25期生(今井田学年)と29期生(道上学年)の皆さんとは担任団として3年間をともにしとりわけ思い出深いです。それぞれの道で立派に活躍されている姿を思い描いています。
 他に30期生の皆さんの体育祭の応援団係として皆さんのがんばりを寄り添って見ることができ感激しました。また、文化祭での服装企画の係として知恵を絞り苦労してTシャツを作り上げる過程を共感できたような気がしました。当日誇らしげに着ていた姿が楽しく思い出されます。
 この11年間、清純で勤勉な皆さんから本当に多くのことを学ばせてもらい、思い出も沢山できました。心から感謝しています。そして交野高校で働けたことがとても幸せでした。
 最近、近隣でも統廃合でなくなる高校がありますが、交野高校と同窓会が末永くますます発展することを願っています。そして皆さんのご多幸を祈っています。
また、どこかで見かけたら声をかけてください。

 
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